Michiyo’s 『道』 BLOG!

こんにちは。慶児道代です。私のブログへようこそ!

チェコ回想記

シャロウン先生、追悼コンサート

久々の投稿です。6月25日、シャロウン先生が亡くなって丁度3ヶ月目に当たるこの日に、プラハ芸術アカデミーで先生の追悼コンサートが行われました。6月に入って、感染者の現象に伴い国境を越えても隔離期間が必要なくなったこともあり、私も参加させて頂きま…

Jaroslav Šaroun(ヤロスラフ・シャロウン)先生

3月25日(木)夜遅くにJaroslav Šaroun(ヤロスラフ・シャロウン)先生が急逝されました。誕生日まであと4ヶ月…、77歳でいらっしゃいました。亡くなる2日前、3月23日火曜日 17:46…先生から電話が入り、ほんの数分でしたがお話をしたばかりでした。…

逆カルチャーショック!!〔Part 1〕

2日間更新途絶えてました!段々と頭の中が、コンサートに集中してまして、回想記は書きづらくなってます。さて、初帰国の続きです。 関西国際空港に着いて、ド緊張のまま、パスポートコントロールに向かいました。私がカバンから無効になった5年用パスポート…

初帰国

遅くなりましたが..12/21 現実逃避...だったカナ….の続きです。「もし、日本に戻ってそこが自分の国だと思えなかったら、一体私は何所へ行けば良いんだ...」なんて事を考え出して...1年後...。遠く遠くなってしまった日本に帰る航空券をとうとう購入してしま…

フィルター

どのタイトルで書いたかな?私が3歳になる頃に、ご近所さん巡りで初ツアーを行った話...。あれが、本来の私なんだろうと思います。物心ついてから...自分を抑えるようになって、しかし爆発して…倉敷少年少女合唱団に入り、またどこかで抑えるようになって、…

劇場専属を辞める ≪Part 2≫

時を経て書いていると、もうモヤモヤしてた感覚も忘れていて、あれは人生の通過点の一つだったんだなぁ...と思います。 唯一の西側出身だと、意見が合わないのは常。同世代の歌手は 教育を社会主義時代に終えている人ばかりでしたから「意見が合わないのは、…

劇場専属を辞める ≪Part 1≫

専属歌手として勤めていた劇場内に友人と感じられる同僚は出来ましたが...、旧西側の人間は私独り、どうやっても馴染めない価値観の違いは 常に感じていました。団体になると 皆...例の『長い物には巻かれろ!』精神が出てきちゃうので、友人なんか放って置…

声楽を教える...【Part2】

音楽院には 7年勤めました。 教え始めると、成長に大きく個人差があるこの時期に、身体そのものを楽器とする声楽を、学校教育のシステムに嵌め込んで教える事への疑問が 大きく膨らんでいきました。勤務し始めて早いうちに、「ここに居たくない!」という思…

声楽を教える...【Part1】

チェコに順化しようと頑張っても、「外人枠」からはどうやっても脱出できない事が解ってきたのが、チェコに行って10年を超えた頃でした。その枠内でグルグル回ってるしかないのか…と感じる出来事が 多くなって来ていました。 その頃に、 既に6年くらい講師を…

現実逃避...だったカナ…

前にもチョット書きましたが、歌の道を行くと言う事について、ずーっと長い間 私の根底に、『私は、自己満足の為に 自分勝手な事をやっている』...と言う考えがありました。私が歌に没頭する事を悲しむ人がいるけれど、やらないと 自分の気が済まないから我…

ここ掘れワンワン!!

昨日 ミリャコヴィチ先生とのエピソードの中で、私は極端に自分に自信がなかった… と書きましたけど…今も 無いですな!(笑) ここまで来れたのは、奇跡のような巡り合わせの繋がりが運んで来てくれたんだな と思います。 様々な方からの アドヴァイスや「君…

声探し <Part 4>

ミリャコヴィチ先生はウィーンにお住まいでした。当時、プラハから列車で5時間弱でした。セルビア共和国の出身でいらっしゃった 先生は、私に、 「不思議ね…。貴女の歌には 私達と同じスラブの心がある。日本人の歌ではないわ。」 と 仰って下さいました。チ…

声探し <Part 3>

フランスのリヨンから、アメリカ人の指揮者が、翌年の定期公演のソリストを探しに来られました。演目は、ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」と シマノフスキ―「スタバト・マーテル」。知り合いから、情報を聞いて会場に向かいましたが、 「あなたはチェコ人で…

生を受け、時代を生きる

90年代にチェコで経験した事、感じていた事…、皆さん興味あるカナと思うので、書きたいんですが...。 その時の出来事や、感じた事を文字にして 後で読み返すと...。妙に深刻な感じ...。 どうも… 重い空気感だけが伝わる様な気がして...。一杯 没にしちゃいま…

苦労は買ってでも??

いつでしたか、日本の新聞の海外版のインタビューを受けた事があります。 記者さんの最初の質問が 「色々苦労されたと思いますが、何が一番大変でしたか?」 「あ〜。何でしょうね? うーん。私…、特筆して頂く様な苦労は してない気がしますね。」 「え?!…

過去を過去にする

色々...昔を振り返って 書いております。 出来るだけ端的に書いてアップを心がけていますが...そこに至るまでには、その時々の様々な思いが湧いて来て...、数年スパンの事が駆け抜けて行くので、不思議な時間を過ごしています。電車やバスの中で、思いついた…

声探し <part 2>

ニッコリ「Grüß Gott!」で潜り込んだ先は、ユリア・ハマリ先生のマスタークラスでした。私は、チェコに発つ前に地元で合唱の指導をやってたりしたんですが、その頃に 良いハーモニーを生み出す「声」について 自分が常に頭の中で感じていた事 そのままを、ハ…

声探し <part 1>

今回 2月のリサイタルでは、ドヴォルザークの作品がプログラムの主軸になっています。 チェコの作曲家の中で、国外で一番よく演奏される作曲家です。 チェコ行きを決めた当初、このドヴォルザークの作品を チェコ人が演奏すると、あの ドドドドドドドド!!…

なかなか…寒いです!

暖房ですが...。昨日で 事は解決せず、今日に持ち越しとなりました。大家さんが、電気ヒーターを貸して下さって 寒さしのげてます。 しかし...朝、布団から出ると…、なかなか 寒いです! それでも、いつもと同じく 朝 窓開けて換気をしてしまう 私! ブルル…

ドドドドドドドド!!!

私は 倉敷から いきなり チェコ共和国へ飛んじゃったんですが、何というか... とにかく 一度ここから出ないとダメだ と感じてました。 行った当初は チェコ共和国と日本の間でヴィザ協定が結ばれていなかったので、街を歩いていて 日本人に会うという事は殆…

ビロード革命

今日は 1989年11月17日のビロード革命から 28年になります。 私がプラハに降り立ったのは、チェコとスロヴァキアが分かれた 1993年でした。 今の様に 携帯電話やパーソナル・コンピューターは 普及しておらず、プラハでも まだ電話がない家が多く、順番待ち…