Michiyo’s 『道』 BLOG!

こんにちは。慶児道代です。私のブログへようこそ!

声探し <Part 3>

フランスのリヨンから、アメリカ人の指揮者が、翌年の定期公演のソリストを探しに来られました。演目は、ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」と シマノフスキ―「スタバト・マーテル」。

知り合いから、情報を聞いて会場に向かいましたが、

「あなたはチェコ人では無いから...。」と門前払い。

それまでに  劇場で、色々意見して待遇が悪くなる...と言う経験を何度もしていたので、一旦は 引き下がったんですけど、悔しくて!!!もう一度 会場に戻り、

「私は、チェコに住んで チェコ語を話し、皆さんと一緒に仕事をしている。チェコを理解し、チェコ音楽をしたい思いは、今日 来チェコされている指揮者と同じだ。その私を、貴方達は排除するのか?チェコ音楽はチェコ人の為にだけあると思っているのか?」  ... と、捲し立ててしまいました。

通常、私は大体において、ボケーッと抜けており、様々なタイミングがズレているのですけれど、時に...自分でも驚く行動をしてしまいます。この時も 正に そうでした...。

受付の方に、怪訝な顔で見つめられ...、『あ~ぁ...。またやっちまった...。』と反省モードに入った所へ、

「あ~。チェコ人だけという事だったんだけど...誰から聞いてきた?」と奥から...
「...ん~どうかなぁ~... まぁ、折角来たんだから、入っても良いわよ。」... と、言う事で、入れて貰う事が出来ました。

指揮者は、ディヴィット・ロバートソンさん 歌手は受付で聞いた様に...予め厳選されていた様でした。
『あ~~。そういう事か...。まぁ、良いや。しっかり歌って帰ろう!』... 期待も希望も一気に無くなってました。(笑)

が!! 私の歌の後にロバートソンさんが 立ち上がって握手を求めて下さって...、私は リヨン国立管弦楽団の定期に乗せて頂けたのです。

このリヨンの公演で一緒だったテノールから、「君の歌には 良いモノがあると思うよ。まだまだ伸びる筈だよ。」と 自分の師であるオリヴェラ・ミリャコヴィチ先生を紹介されました。
当時はまだ、ハマリ先生の元にいて、しかし、お互いの時間が合わず、レッスンは殆ど無い状況だったのですが、どうしようか...と悩んで...即答しませんでした。

このテノールが、ホントに良い人で、その10か月後!「先生がプラハに行かれるから、公演を見て貰ったら良い!」と連絡をくれたのです。

先生の滞在中にあった公演は、「セヴィリアの理髪師」公演日は、2001年9月12日。
そう...、アメリカ同時多発テロの翌日です。
世界が衝撃を受け、多くの犠牲者に心を寄せている時...。 喜歌劇である「セヴィリアの理髪師」は、演目変更となりました。

残念に思っていると、先生からお電話を頂きました。驚きました!

「折角だから、会ってお話ししましょう。良かったら、声だけでも聴かせ下さい。」と言って下さり、何曲か聴いて頂いて、お話をして...。

私の歌の後に、先生は色々テクニックについて話されたんですが…その殆どが良く理解できない状態でした。でも私は、先生の話をずっと聞いていたい...と感じて、先生に会えた事が有難くて、涙が止まらなくなってました。

「なぜ泣いているの?」と聞かれても、ハッキリとした理由は解らない、ただ、涙が止まらなかった。

私は、号泣しながら「私を指導して頂けますか?」と言っていました。

先生は 「今、もう指導しているんだけど」と 笑いながら 仰いました。


それから、私は 6年間このミリャコヴィチ先生にレッスンして頂く事になるのです。

現在の私の基礎を作って下さった大切な先生です。

 

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