Michiyo’s 『道』 BLOG!

こんにちは。慶児道代です。私のブログへようこそ!

声楽を教える...【Part1】

チェコに順化しようと頑張っても、「外人枠」からはどうやっても脱出できない事が解ってきたのが、チェコに行って10年を超えた頃でした。
その枠内でグルグル回ってるしかないのか…と感じる出来事が 多くなって来ていました。

その頃に、 既に6年くらい講師をしていた 子供のための音楽塾(年度末に一回4日間)で私の指導を見た方から、パルドゥビツェの音楽院の声楽教員の試験を受けるように勧められました。

応募者7名中 外人は私独りで、面識のない方ばかりの所でしたし、学校で教えると言う事に実はあまり乗り気ではありませんでしたが、勧めてくれた人の熱意が凄かったのと、試験日に入っていた稽古が 相手役テノール風邪の為 無くなったので、断る理由が無く「じゃぁ、受けに行くか...」...と...。
結果は、全員一致で採って頂けたそうです。2年間の産休代理だったはずが、1年後には正式採用になりました。

それまで、発声は チェコ人と違う探求をしなくては!と独自に頑張って来たことを、チェコで後進を育てる為に活かす機会を頂きました。
外人枠の中でグルグル…と思っていた時でしたから、チェコで次の境地を開拓する時期が来たのかな...と、頂いたチャンスに感謝で取り組もうと思いました。

社会主義時代、劇場では全てのオペラの演目をチェコ語で公演していました。
モーツアルトも、プッチーニも、ワーグナーも...全てチェコ語でした。
私が劇場に入った頃は、原語上演をするかしないかで 古い世代と若い世代に別れて 日々熱い討論が交わされていた時期でした。
ありがたい事に、殆どの演目は原語上演でしたが、偶にチェコ語上演も...。
プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』は、チェコ語上演で...、あの有名なラウレッタのアリア "O mio babbino caro" は "Tatičku můj Ty víš co" となり...、ブレスの位置も全く違いますし…面白かったデス。)


教育の場では それに沿って、チェコ語で歌う事を主目的に置いた 独自の教育方針を固めていたようです。

私が教育の場に入って行った時は、チェコの音楽界(特にオペラ界)の様変わりを受けて、社会主義時代の指導要領が もう通用しないと言う事は 皆が感じ始めている時でした。音楽院に務めている間には、指導要領の改正にも関与したり(現行職員 皆で...)、チェコの歴史の移り変わりに触れた時間でした。


私は日本で、私と言う人間「個」を大切に育てて頂けた経験から考えるので、生徒中心の発想で指導要領改正の話し合いに臨み、私の意見は 学校として成果を上げる事を考える周囲と比べて かなり飛んでいた様です。
良いと言う意見が出ながらも...採用されない事が多く...非常に残念でした。

チェコ語は子音が多く ゴツゴツとした流れの無い、リズムのハッキリした言語で、チェコ語をキチンと発音しながらレガートに歌う事は至難の業です。彼らは、初心者の段階から チェコ語の発音が明瞭である事に拘って指導するべきとしていましたが、私は全く逆のアプローチで教えていました。
まず音楽が流れる事!母音でレガート...、その感覚をつかみだしてから、発音を考える...、発音し難い高音は、出来ない間は母音重視で発音をいい加減にする。

学科長に「貴女は外人だから、チェコ語を感じていないようだ。貴女のクラスの子はチェコ語を大事にしていない。」と、意見されました。
「お言葉を返すようだが、私は外人だから、チェコ語の難しさが解る。劇場での先輩歌手の経験から、チェコ語の発音に焦点を当て過ぎると、他の言語の楽曲を歌う時に苦労する事も見てきた。音楽院ではベース作りに専念すべき。本当に声楽家として活動を始める時に全てが揃う様に教えて行くべきだ。」と、自分の考えを述べましたが、この道40年の学科長には鼻で笑われました。
同世代の同僚は「貴女の言ってる事は正しいと思うけど...、学科長の前で賛成意見を述べられるほど私は強くないの...でも諦めないで!!」と...。『協力できない。でも諦めないで...。何よ、それ‼‼‼』よく怒ってました。


この頃の私はチェコ順化が進み...しかし、日本人の根っこはしっかりと持ち続け、…で、随分と捻くれておりました。

私の意見が採用されない原因を 私が「外人」で...、チェコで教育を受けた期間が短いから...だと思い込み、教育の場で私の意見を採用して貰う為に...!と、プラハ芸術アカデミーに舞い戻り、 博士課程まで 修了しました。

しかし...意味があったのかどうか、現時点では 正直???であります。(笑)

(こうやって、書きながら...思い込んだら命がけ...とまでは行きませんが、かなり熱血になってしまうんだと苦笑してます。)

 

f:id:MichiyoKEIKO:20171226212351j:plain(2014年8月 イタリアの サンタ・マルゲリータ・リグーレ音楽講習会、修了コンサートにて...)