ラドミル・エリシュカ先生の訃報から3日が経ちました。
鈍器で頭を殴られた様な衝撃でした。
信じる事が出来ず、ここに何かを書こうにも言葉が纏まらず、今日に至りました。
今朝、エリシュカ先生の奥様とお電話でお話させて頂き、ひとしきり涙を流し...やっと現実として受け止め始めています。
大きな大きな方でした。
敬虔なクリスチャンで 信念をもって、どこまでも愛と信頼で取り組む、真っ直ぐな真っ直ぐな方でした。
73歳と言う年齢で、日本でのキャリアが始まり、日本で大輪の花を咲かせたのは、起るべくして起きた奇跡だったと思っています。
音楽への向上心の高い日本には、海外から沢山の指揮者が招聘されています。現在の音楽界の「ビジネス」や「キャリア志向」がどうしても見えてしまう中、エリシュカ先生は 一切の雑念無く、ただ音楽する事への喜び、感謝だけで、日本のオーケストラに接していらっしゃいました。
長年、チェコの優秀な若手指揮者を指導されたその指導力や人間性が、向上心の高い日本のオーケストラに響き、そして音楽の本来あるべき姿に観客は心を動かされ、全てが幸せな相乗効果を生み出したのだと思います。
先生のマネージメントは、最初に先生を日本に紹介し、最後まで尊敬と共にサポートし続けた方でした。先生の存在が知られ始めた頃、他の事務所からのお声もかかったそうですが、先生は自分を理解し共に音楽に情熱を傾ける人達から離れる事はありませんでした。
先生は、子供の持つ直感の様なもので、自分にとって家族の様に大切な人を見抜いていらしたのだと思います。
ここまで純粋な先生で居られたその陰には、奥様の存在が大きかったと思います。
私はチェコで学び、お仕事もさせて頂きましたが、理解できない事が本当に多かった。
真っ直ぐにぶつかっての痛い思いや、理不尽と言うよりも根本の道徳観の違いに苦しむことは沢山ありました。
人望の厚い人ほど 日の当たらぬ場所にいらっしゃいました。いざ、日の当たるところへと押し出されると、その人の良さはあっと言う間に消されてしまう。
自分の意見を言う事がタブー視される中で、思った事を口にしてしまう私に 友人は、 道代の考え方はチェコには無い考え方…社会主義時代だったら 貴女は完璧に要注意人物だと言いました。
社会主義時代の真っ只中...、私には想像もつかない恐ろしい世界です。
その中で、先生は 信仰を捨てず、音楽を愛し、祖国を愛し、置かれた場所で出来る精一杯の仕事をし、若い才能を愛を持って育てた。
どんなに理不尽な状況を与えられても、常に起きている状況を冷静に洞察し、現状を受け容れ、真っ直ぐな先生そのままに進んで来られた。
それができたのは、ヴィエラ夫人の愛、理解と協力があったからだと思います。
73歳と言う通常なら引退を考える年齢で、いきなり最高潮を迎えた先生。
日本での活動を受ける際、先生は奥様に「君のサポート無しでは 出来ない。」と仰ったそうです。
「私は、あの人と音楽が大好きだったからね…。だから できたのよ。」と奥様は 仰いました。明るく 聡明な 素晴らしい女性です。
2008年 大阪フィルハーモニーの定期演奏会でヤナーチェクのグラゴール・ミサのソリストとして、先生の推薦を頂けた事は、この上ない喜びでした。
最初のオケ合わせの後、満面の笑みで喜んで下さって…嬉しかった...大丈夫だと思えました。
思えば あの後から、私は自分の人生について色々考え始め 本来やりたかった事に一つ一つ取り組んで 現在に至っています。
私は…、人が音楽を聴く時、音を聞いている様で、実はそうではないと思っています。
人は聴こえてくる音楽に、自分の感情を重ね合わせ、その感情に耳を傾けているのだと思っています。
エリシュカ先生の波瀾万丈の人生と 何があっても曇らない先生の純粋さは、私達に 音楽の本来あるべき姿を示す為、奥深くに潜む自分と向き合う切っ掛けを与える為だったのではないかと思っています。
先生との出会いに、心から感謝いたします。
どうぞ、どうぞ 安らかにお眠りください。