Michiyo’s 『道』 BLOG!

こんにちは。慶児道代です。私のブログへようこそ!

新年のご挨拶と公開レッスンのお知らせ。

2024年が明けて、10日になります。
ご挨拶が大変遅くなってしまいました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

新年早々のニュースには、本当に驚きました。
能登半島地震で被災された方々、羽田空港の航空機事故に遭遇された方々に心からのお見舞いを申し上げます。

被災地の1日も早い復興と日本の平穏を 毎日祈っております。



ブログの方、大変長らくご無沙汰しておりました。

2023年は、コロナ禍中、籠っている間、自分のためにと取り組んできた事を少しづつ開花させながら、進んだ一年で、それに集中しすぎて、ブログ放置してました。(苦笑)すみません!

 

皆さんはもう2024年の目標や抱負を立てられたましたか?

私は、2025年にやりたい事がありまして、今年はその準備期間に充てたいと考えております。

なので!

今年は、2025年に向けて、自分を整え、備える年にしたい!! 


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さて、タイトルにもあげましたが、
今年も、2月〜3月初めにかけて、東京と岡山で公開レッスンを予定しております。

詳細・お申込み・お問い合わせは こちらから↓

音楽職人工房『道』

https://www.oto-michi.com


音楽職人工房『道』の皆さんが、それぞれの活動でお忙しい中 お世話くださっています。

昨年12月25日から申込受付を開始したのですが、東京は開始から1日でほぼ全ての枠が埋まってしまい、新たに2月24日(土)が追加となりました。

また、東京限定で、希望があれば、規定の1枠目の前に60分レッスンも可能です。
これについては、事務局にお問い合わせフォームから問い合わせてくださいませ。


岡山会場には、これまでに、大阪府、京都府、愛知県、滋賀県、広島県…からのご参加がありました。 毎年皆さん遠方から、高い目的意識を持ってお集まりくださり、地元の皆さんにも良い刺激を与えてくださっています。 

今回も、沢山の方にお目にかかれる事、楽しみにしております!!

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私のレッスンについて。

中学・高校の頃から感じていて、皆んなそうだと思っていた「歌っている人の身体の内部が見える様な感覚」は、皆が皆 感じているのではないのだと、コロナ禍で始めたオンラインでのレッスンで気付きました。


実は…、コロナ禍中、「自分を癒す」目的で学んでいたのですが、自分を見つめる苦しさを知って、同じ目的を持つ仲間と「自他を癒す」学びを深める中で、開花させようとしていた感覚も、実は、元々持っていたのだと気づきました。



オンライン・レッスンは、ア・カペラで行いますので、楽器としての身体の扱いに重点を置いたレッスンになります。音は、参考程度に聴いて、とにかく身体の内部を見ております。

 

主に筋肉や骨格の状態を見ていますが、時に、前日に食べた物の影響…、とか、既往症の影響・生活習慣からの身体の癖…、エネルギー循環の詰まり…、などが見えたりして、各々の問題を落ち着いて意識し、自分の身体をコントロールし始めるキッカケをお伝えできる場合があります。



オンライン・レッスンを開始して3年目を迎え、継続して受講してくださっている方達の殆どが、大きな変貌を遂げ始めています。

石の上にも三年とはよく言ったものだと思います。

レッスンを継続して下さる皆さんの根気と努力には、本当に頭が下がります。


- 低音がスカスカになる原因は?

- 呼吸が続かない原因は?

- 音域によって 突然 声帯が合わなくなる原因は?

…など、


多くの疑問に、起きている状況のおおよその説明は出来ますが、ご本人自身が、実際歌う中で問題が解決した瞬間を体感しない限り、腑に落ちないのです。

公開レッスンも聴講だけよりも、受講をお薦めしたいのは、この理由からです。


そして、自分の身体で体感して、腑に落として行くには、私の説明の言葉ではなく、自分の言葉に置き換えるという作業が必要で、このプロセスが一人では難しい作業となります。

初めの頃は、「何をどうやったのか?全く分からないけど、良かったとは思った!」という感想が出てきます。

これが、段々と自分の感覚で何をどう感じたのか私に説明して下さる様になるのです。

こうなったら、自分という楽器を客観的に見始めたということです。

私が、心の中で『万歳!!』を大きく3回唱える瞬間です。

公開レッスンの受講をお考えの方は、ご自分のレッスンをしっかりと録音されて、複数回受けて頂けると、何かが必ず残ると思います。

是非是非、ご検討くださいませ!

 

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元旦の森です。清々しかった!

 

 

 

夏期講習会 終了!!

7月1日〜9日まで、チェコのトゥルノフという街で、夏期講習が行われ、声楽講師として参加致しました。

この街は、私が声楽を教える切っ掛けをくれた町でして、お付き合いは、もう22年になります。

当時のチェコでは本当に画期的な企画で、子供の為の音楽講習会(音楽工房と名付けていました)として、地域の子を中心に、姉妹縁組を組んでいるポーランドやドイツの街からも参加者が来て、泊まりがけで音楽合宿をすると言うものでした。

私のクラスは、とにかくオープンな状態で、皆んなが見学している中で、午前中に15〜20分の公開レッスンを全員が受け、午後にも15〜20分の公開レッスンを受け、受けている本人は小さな気付きを深め、見守る友達は受けている子の成長を喜び讃えつつ、そこから刺激を受けて自分の成長に繋げているという本当に素晴らしい「音楽工房」でした。

そこで学んだ子達が、今は立派なソリストとして、チェコの音楽界で活躍しています。
この工房出身の子 数名を、のちに音楽院で教える事にもなったりしてね。
皆、歌い続けています。本当に尊いご縁を頂いたなと思います。



今回の講習会は、年齢制限無しで最年少は12歳、最年長は72歳、音楽院やアカデミー(音楽大学)で学ぶ子や、既にプロとして活動している歌手さん、音楽基礎学校の声楽の先生など、総勢13名が私のクラスで、9日間の間にそれぞれ5回のレッスンを受けました。

そう。。。結構な時間数で、期間中に講師コンサート(一般入場可の普通のコンサートです)もあるという。。。。中々にハードな日々でした!!!

でも、参加者は皆、本当に熱心に取り組んで下さって、5回のレッスンでみるみる変化されていきました。

10日に疲れ切って戻り……今日やっとこれをアップするという状況なのであります。(苦笑)

 


ここの講習会は、講師陣が皆さん素敵な方達で、彼らと会える事、話せる事もとてもとても楽しいのです。


7月7日のレッスン後、講師陣 皆との夕食会(Bedřichov)の写真、
講師コンサートで久しぶりにSlávka Pěchčová-Vernerováと一緒に演奏した後の写真など、幾つかあげてみますね。

 

 

 

P.S.

そして…実は…、音楽の活動とは別に、細々と動き出している事がありまして…。

何々??と気になる方は、ちょこっとこちらを覗いてみてください。

 

 

 

 

 

 

変化の中で、思う。。。


昨日、Soňa Červená(ソニャ・チェルヴェナー)さん(享年97歳)のお葬式がプラハとフラデツ・クラーロヴェーで執り行われました。

私は、現地に赴けませんでしたが、ネットニュースでその様子を見聞きし、ご冥福をお祈りいたしました。

 

この数年間、チェコで出会い、色々な形で私に影響を受けた人達が、次々とあの世に旅立たれました。

 

ソニャさんとは、フラデツ・クラーロヴェーのフィルハーモニーの定期演奏会とそれに付随した、演奏旅行でご一緒させて頂いただけでしたが、そのお人柄と彼女の芸術に魅了されました。

私は この時 R.シュトラウスの「4つの最後の歌」を歌わせて頂いたのですが、元々この公演を振るはずだった指揮者のF.ヴァイナル先生が… 病のため、ドイツ人の指揮者に代わり、
(ヴァイナル先生は、プラハのアカデミーの指揮科の教授で、まだ学生の私をドヴォルザークのTe Deumのソロに抜擢してくださった方で、この時はご自身の引退を視野に入れられたプログラムにまた私を抜擢してくださっていたのでした) 

先生の為、先生の指揮ならば大丈夫と挑戦した楽曲を抱え、色んな思いが交錯し、確固たる自信が全く持てないまま、本番の日を迎えようとしていました。

ソニャさんは、この時 メロドラマの語りをされたのですが、音楽とソニャさんの深い声とが絶妙なバランスで、そこにお人柄・人生経験も加わった感じで…、正にソニャさんを中心に、素晴らしいステージを創っていらっしゃいました。

凄い。。。。の一言に尽きました。

 


オペラ歌手としての輝かしい経歴の裏には、良家に生まれつつも、ご家族の影響を受け、お若い時に既にチェコの政治的圧力の中でご苦労があり、歌い続けるため、生き続けるために亡命を選び、30年祖国の土を踏まずにいらした過去をお持ちでいらっしゃいました。

窮地に立たされた人間の取る行動…として、ソニャさんの決断と行動は、本当にタイミングを捉えていたと感じます。

決断と行動。。。我々はこの繰り返しで、自分を前に進めて行きます。

 

 

このソニャさんが、ゲネプロの私の歌を聴いて、ナント!わざわざ私を探して来て下さって、「貴女の声にStraussは合っているわ!と、オケと貴女の音色のバランスも絶妙よ!」と、真っ直ぐ目を見つめて語りかけてくださいました。

私はといえば、「ソニャさん、凄い。。。」と思いつつも、わざわざお声がけに出向けていなかった。。。

…というか…、わざわざそういう行動をとる人(同僚)は、まず居ない…、という環境に慣れてしまっていた…。

だから、逆に、なんだこの方は!!なんて真っ直ぐで清らかな人なのかと…

嬉しかった、ありがたかった、何故なら、彼女の目から、心からの言葉だと解ったから…。

物凄いエネルギーを与えてくださいました。

 

お陰様で、私は自分を信じ、自分に集中し、病床の先生にエールを送りながら、勤めを果たす事ができました。

 

素晴らしいキャリアと複雑で深い人生経験を持っていらっしゃる ソニャさん…が、まだまだ人生半ばの初対面の私に、まるで古くからの同僚に接する様に接してくださった事 …… とにかく とにかく 驚きました。。。

初対面のチェコ人が、自身の目の奥から、真っ直ぐに私の目の奥を見つめながら話して下さる事はまずなかったので、それは本当に本当に 驚きの出来事でした。

 

この頃の私は、ちょうど人間不信に陥っていた時で、なぜソニャさんがこんな風に私に接して下さっているのか?と目を丸くして最初は言葉が出ないくらいだったのですが、

あの直向きさ、澄んだ瞳、見たことも無い清らかな魂の持ち主であるソニャさん、その美しさに触れさせて頂けた事で、私はあの時期を乗り越える事ができたと感じています。

 

本当に忘れられない、素晴らしい出会いを頂けた事に、感謝の気持ちで一杯です。

 

先ほど、タイミング という言葉を書きました。

心の言葉に、感覚に従って、自分の感覚を信じて決断し、行動できた時に人は、タイミングよく波に乗る事ができると感じます。

 

私は、この2年ほど、自分を深く見つめることに専念していたのですが、様々な要因で人は、自分の心の声に従えなくなる事を学びました。

強い精神力だけでは、自分を生き切る事ができない。
運の良さ、育った環境、出会う人…、あらゆる事が 決断と行動に影響していきます。

この2年間の学びを基に、私は今一度、チェコでの活動期間、私が どんな状況に自分の身を自分で置いていたのか、当時の自分の状況や、私という人間の傾向を感じ直していました。

 

 

あの時代(1990年代)のチェコだったから良かった事…、大変だった事…、いっぱい思い出します。

クニプロヴァー先生、シャロウン先生、ヴァイナル先生、エリシュカ先生…、そして、ソニャ・チェルヴェナーさん、その他にも沢山の素晴らしい先輩方と本当に身近に関わらせて頂けた事は、私にとって大きな大きな財産です。

 

皆さんもうあの世へ逝ってしまわれた…。

一つの時代が完全に終わったと感じています。

ソニャさんの訃報で、彼女との出会いで感じた感覚を思い出し、あの経験が今の自分にどう生かされているか?と自問自答しました。

 

新しい時代で…、今、私は何がしたいのか?をキチンと自分に問い掛けて、

自分を常に見失わず、偉大な先輩方が生きてこられた様に、自分の心の声、感覚にしっかり沿って、決断・行動のタイミングを逃さず、繋がりたい人と繋がって、やりたい事に直向きに接して行きたいと思います。




ソニャさんの英語版Wikipediaがありましたので、載せておきます。
https://en.wikipedia.org/wiki/So%C5%88a_%C4%8Cerven%C3%A1

チェコ語ですが、ソニャさんが30年ぶりにプラハに戻った当時のテレビのインタヴューです。
自身の人生について語られています。
https://www.youtube.com/watch?v=92LZH3ULVhw
26:36 〜 若かりし日のソニャさんの歌で、Jakpak je dnes u nás doma? (”…で、今日の我が家はどうですか?” / 映画音楽)が流れます。
それを聴くソニャさんの様子にどんな30年を過ごされたのか。。。どんな気持ちでプラハに戻られたのか。。。思いを馳せました。

 

ソニャさん ありがとう。
安らかにお眠りください。

 

 

試練は乗り越えられるから来る。

チェコのテレビ番組に、日本語で言う所の「開かずの間」という様な名前の番組があります。

友人のピアニストがそれに出たと聞いて、今日ネットでその番組を見れました。

コロナ禍中の出来事で、コンサートが延期・中止されたお陰で、1つのコンサートもキャンセルする事なく乗っていましたが、

実は……彼女に何が起きていたのかを知って、息が止まりそうでした。


両手首の骨折。。。。


そこから彼女は完全復帰してました。
本当に強いと言うか、運も良いというか、やはりこの子はただものでは無かったと思いつつ、今、さらっとインタヴューに答えているけれど、その時、どんな思いでいたのか。。。。

 

彼女とは、なんだかご縁があって、何度もステージを共にし、お家にも泊まりがけで遊びに行ったり、音楽院も同じ時期に勤めていたりで、よく色々な話をしました。

 


とにかく、人間的で情が深く、賢く、自分をしっかり持っていて…、それがそのまま彼女の音色・音楽性に表れていて、話をしても、演奏しても、いつも教えてもらう事ばかりでした。

彼女が、大切にしてきた家族が、彼女の窮地をサポートしてくれている様子も出ていました。

本当に世界を飛び回って素晴らしい活動をしているピアニストなのですが、どれだけ凄くなっても、学生時代から全く変わらない彼女…それが、ギプスで全く使えなくなった両手を抱えているその時も、変わらずそこに在りました。 もう本当に、流石!!でした。



番組終了後に、メッセージを送りました。。。

そして。。。彼女の返事に、また驚かされたのです。。。

実はこの両手首骨折の後に、こんなものじゃない大きな大きな試練がやってきてて…。
(この試練については、ちょっとだけ話したんですが、詳しくは今度会った時に。。。と深掘りしていなかったのです。)

多少のことは想像はしていたのですが、そんなものじゃない…本当に壮絶でした。



神様…と言われる方は、超える事のできる試練だけを与えてくださる。

 

…と、聞きます。


我々は、試練を受け取り、乗り越え、強くなった魂を持って、また次の人生のステージに進む…

 

私の小学校の恩師が言っていた言葉

「困難は一層高い世界への招待状である。」

 

 

その繰り返しが、「生きる」と言う事だと思っていますが、こんな試練が来るなんて、やはり彼女の魂は、並では無かったんだと感じます。

 



7月に彼女と一緒のコンサートがあります。

 

 



一緒の演奏は、か〜な〜り 久しぶりです。

 

 

私は、彼女の様な、とんでもない試練は天からいただきませんでしたが、

2年ほど密かに。。。自主的?に。。。
これまで見ない様にしていた自分の奥深くに意識的に目を向ける為、コツコツ取り組んでいました。

見たくない部分というのは、人間 皆 誰しも持っていて、無意識に目を逸らし、誤魔化しながら生き続けているのだと思います。

そういうものだ!として、気にしなければ、そのまま生きて行けるのかもしれませんが、

私はずーっと、ずーっと、日本を出る遥か前からずーっとその部分が気になっていた。。。

見つめようとしたり、アドヴァイスが欲しくて、本を読んだり、識者に話を聞いたりしていましたが、腑に落ちないし、見えてこない。

だんだんと「自分で見るしか無いんじゃないか…」と思う様になっていました。

 

自分を見つめるというのは、全くもって簡単なことでは無かったです。
苦しい時は、本当に辛くて、ギャン泣きで逃げ出したかったですが、とにかく諦めず、取り組み続けた結果、今やっと自分を呼吸をし始めた気がしています。

 

 

真っ直ぐにちゃんと自分を持って生きて来た彼女は、天から、「君は、まだまだ強い魂になれるよ」と、彼女にしか越えられない試練をいただいで、見事にそれを受け入れ、乗り越えた。

常に、彼女は私よりも強く美しく居て、その姿を私に見せてくれるんだなぁ…。

 

生き様に圧倒されています。

本当に凄い子です。

 

 

そして… この時期に、また彼女と一緒に奏でられる事をとてもありがたく思っています。

 

 

Eisheiligen....

暖房のお礼を大家さんに言いに行ったら、ちょうど今日から Eisheiligen (氷の聖人達)だと言われました。


5月11日〜15日まで、カレンダーの聖人名に沿って、Mamertus、 Pankratius、 Servatius、 Bonifatius von Tarsus、 Kalte Sophie(Sophia vom Rom)この5名が Eisheiligen なのだそうです。


この時期は、5月であってもえらく寒くなる可能性があるから、植物の種や苗を植えるのを待った方が良いと昔の人は言ってたらしいです。

特に農家の間で言われてたらしい。

 


昨日一日、着込みまくって寒さを凌いでましたが、身体中の筋肉が緊張して血流が止まりかけてたのか、暖房のお陰で、身体中が緩んで軽い頭痛(これは気圧のせいかもしれない。。。)もあって、ボケ〜!っとなってます。

(ボケてんのは、いつも。。。かもしれないですが。。。笑)

 

 

ま、今日が一日暇な日で良かったです。