前にもチョット書きましたが、歌の道を行くと言う事について、ずーっと長い間 私の根底に、『私は、自己満足の為に 自分勝手な事をやっている』...と言う考えがありました。
私が歌に没頭する事を悲しむ人がいるけれど、やらないと 自分の気が済まないから我儘を通してる...。ずっと...どこかで、自分を責めながら...やりたい事をしてました。
やると決めたのであれば「とにかく、進めばいい!」と言い聞かせていましたが、...根底に ずっと あの イジケタ 捻くれた考えがあるので、スッキリと流れない、繋がらない... そういう事だったんだなと...思います。
チェコへ出発時、現地に着いてからの事は 先生も...学校も...一切何も決まっていない状態でした。
それでも、出ちゃった。
フラッと簡単に出たように見えて…実はとんでもない状況でした。でも「出る」選択の方が 私にとって 「未来がある」と感じられた…。
決心を挫かれたくなくて、殆ど誰にも話さずに準備をして、周囲の人を、かなり驚かせたと思います。
実際、「突然 出て行った。。。」と、後々色々言われました...。(ゴメンね。)
ここで詳しくは書きませんが...言えない位の状況(心境)に立たされていた...のです。
私自身...『プイッと 勝手に出て行ったんだから、簡単には帰れない』...と思って出発していました。
出発の日、岡山の新幹線のホームに 思いの外 沢山の友人知人が見送りに来てくれました。(ありがとうね...。)
新幹線のドアが閉まった途端、「もう この地に 戻らないかも知れない」という思いが湧いて来て、涙が溢れて止まらなくなりました。
その時 湧き上がった感情 と 涙目で見た窓からの景色...今でも ハッキリ覚えています。
チェコに行ってからは、ネットで瞬時に繋がる事など 思いも付かない時代でしたし、日本人を見る事も殆ど無い中での生活でしたので、『ココが私の居場所!』と決めて、腰を落ち着けて 頑張る事は 難しい事ではなかったです。
しかし、今思うと 私の場合、あれは 日本を離れ...現実逃避を意地になって続けてた状態だったかな?と思います。
チェコへ来て6年目… 友人に 「一度帰らないとダメだよ。」 と言われ、目の前に 『一時帰国』がチラつく様になりました。同時に 私の中に、「もし、日本に帰って、そこが自分の国だと感じられなかったら、私は何所へ行けば良いんだ?」と言う考えが浮かぶ様になりました。
それくらい 私にとって 日本は 遠い遠い国になっていました。
今では考えられない事ですが、 日本語の活字に飢えてましたね。 大使館に日本の新聞を読みに行って、まるで外字新聞を見るみたいに デザイン眺めて 「社名控えめで白黒って格調高い!」と思ってたな…(笑) 懐かしいです。
この頃 かつて歌った『白い木馬』と言う混声合唱組曲の終曲の最後のフレーズを気が付いたら口にする様になってました。
~ ここにも私の故郷(ふるさと)は無い。故郷は無い ~
ブッシュ孝子さんの詩です。
もう一つ...よく口にした歌が『風』でした。
プラタナスの枯葉舞う 冬の道で
プラタナスの散る音に 振りかえる
ちょっぴり淋しくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
振りかえらず ただ一人 一歩ずつ
振りかえらず 泣かないで歩くんだ
(今、ネットで見なおしたら、1-3番の歌詞ごちゃ混ぜで歌ってた事が判明!笑)
今 こうやって書きながら...多分、あの頃の私...辛かったんだろうなぁ...と思いました...。
その時は、全く気付かないで、いや...気付かない様にしてたんだな...きっと、進む事だけ考えてました。
チェコに行って7年経って、私は初めての一時帰国をしました。
実は、6年目に帰ろうと思えば帰る事が出来たんですが、予約を入れた途端 怖くなって...、そこへ仕事の話が来て、「助かった!」とばかりに 仕事を取りました。(笑)
チェコ人の友達に、「逃げちゃダメだ!」と言われました。
「自分の国なんだから、帰らないと!ちゃんと見ないと!!」
こう言ってくれた友人に、感謝です。
私、意思(志)は強い...のカナ?と思います。
しかし、昨日の投稿と繋がりますが、自分の根っこから真っ直ぐに来る思いと繋がらないと...、本当に自分が満たされる事は無いんだな と思います。
これまで…私は ただの頑固者だったんだなぁ…と思います。(笑)
そして...初めての帰国は、もう...逆カルチャーショックで...、笑い話しかないです!(笑)
また これは ゆっくりと。。。