Michiyo’s 『道』 BLOG!

こんにちは。慶児道代です。私のブログへようこそ!

5月に暖房。。。

雨が続いてます。

ここんとこ、寒くて布団から出るのに「えいやっ!」と掛け声かけてましたが、今朝方ラジエーターの音…!

 

大家さんが暖房を入れてくださいました!

身体がホッとするのを感じました。

 

中度?の大雨警報も出てます…。

 

iPhoneの天気予報は見える限り、ずっと雨☔️。。。。

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今日明日と実はポコっと時間ができたので今月から始まった49€チケットを大いに利用するべく、ちょっと遠出してみようか?と思ってたんですが…

多分今日は、このまま家でのんびりを決め込みそうです。

 

決めないと行けない事もあるしね!

フラフラしないで、先ずはやる事やって!という事ですな!

 

心に残る素晴らしい夜でした。

クニプロヴァー先生の追悼演奏会、終わりました!

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久しぶりに同門の歌を聴きました。

立派な声、素晴らしい響き、大きなフレーズ、心からの音楽。。。

先生の門下のスケールのデカさと言うか…(先生譲り?!)

 

あぁ、そういえば、そうだったなぁ〜と思い出していました。

最初のレッスンで先生のお宅へ行って、聞こえてくる声の素晴らしさ、フレーズの大きさ、皆んなのガタイの良さ!

どうやっても叶わないマテリアルの良さに、とにかく圧倒されて…、この先の自分を考えると恐ろしくなるくらいでした。

今日、初めて歌を聞く後輩も数名いて…皆んな素晴らしくて、あの時の気持ちを思い出してました。

コレが、スラブの歌い手の響きなんですよね。。。

私は、どうやっても叶わない天性の歌声の持ち主に囲まれたお陰で、先ず!彼女達との競争を諦めて、自分を…自分のポテンシャルだけをしっかり見つめ、信じて、コツコツ、コツコツと頑張るしかなかったから、ここまでくる事ができたんだと思いました。

良い出発だったと言う事だな。。。と、思えました。

 

前にも書いた様に、私はこのコンサートの為に例のイゾルデの”Liebestod"に挑戦したのです。

出演者の誰も 何も言わなかったけど、私が「イゾルデを。。。」と言った時には、皆んな内心「えー!」って思ってたかもしれないな…。でも、黙って見守ってくれてた…。ありがとう!

挑戦のお陰で、新しい出会いと、自分の中に新たな発見がありました。

お陰様でお客様に喜んでいただきブラボーの声がけも頂きました。

会場だけでなく、裏にもビンビン響いていたそうで、裏に戻ったら皆からもお祝い(?)の言葉をかけてもらいました。

 

「ワーグナーに取り組んでみたら良いんじゃないの?」という人もいて…、お言葉、そのまま受け取って…先ずは、気になるアリアに、少しづつ取り組んでみようかな?と言う気になリ始めてます。(笑)

 

 

出演前、先生のブリュンヒルダの写真が貼られたポスターに手を当てて、心の中で「先生の十八番を歌わせて頂きます。」とご挨拶しました。

「あの道代が、ここまで成長したのね。」と、喜んで頂けてたら良いな。。。。

 

 

コンサート後、しばらく話に花を咲かせて、それぞれ家路についた後も、グループサイトで、「ありがとう!」「忘れられない素晴らしい夜だった!」とメッセージが飛び交っています。

 

客席にも、出演しなかった同門が来てくれていて、本当に久しぶりに話しました。

会っただけで、一気に年月が戻って、20数年前のままで話ができるって…

友人って…本当にありがたいですね。

皆んな,ありがとうね!

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Má drahá Prof. Naděžda Kniplová.(クニプロヴァー先生…追悼演奏会に向けて…)

5月5日に2020年1月14に亡くなったクニプロヴァー先生の追悼演奏会が開かれます。




クニプロヴァー先生は、私がヨーロッパで最初にお世話になった先生です。
私はプラハに…全く情報なしで、飛び込んだだけでした。
プラハ芸術アカデミーへ行って、「この学校で学びたいのですが…」と言ったら、入学願書を渡され、入試まで、どなたかにご指導頂きたいのですが…と言ったら、当時 声楽学科長であったクニプロヴァー先生のご自宅の電話番号を下さいました。

1993年の事です。まだメールも携帯もなく、電話はしょっちゅう混線して受話器を持った4人で「どっちのラインを切るか!?」で揉める様な時代でした。


お電話して「まず会いましょう」と言われた期日に学校に行き、廊下(と言っても広い!)の片隅にあるソファーに座って、お話をさせて頂いたのが最初でした。
「とりあえず、アリア2曲、歌曲2曲を準備して、2週間後に歌って下さい。」

「どこで練習しよう?」と思っていたら、先生のクラスの1年生が我々の話に聞き耳を立てていて(立てる必要はなかったね!先生の声は無茶苦茶デカかったので!笑)私は寮の練習室で練習できるから、と、自分の練習室カードを貸してくれたのでした。Jana Novákováと書かれたカードの裏に「二週間Michiyo Keikoに貸します。」と書いて…。これが通る時代だったんですよね、1993年…平和でした。


かくして私は、毎日大学の練習室に潜り込んで練習し、二週間後…。

 

4曲のうち、1曲目の半分で止められ…「ダメか…」と思ったら、「これで充分!他を聴く必要は無いわ!私がレッスンしましょう!ウチへ来なさい!」と!!!!!

 

この後、先生と学部長の推薦を頂けて、チェコ政府の給費奨学生として芸術アカデミーで学び、ドヴォルザークの国際音楽コンクール日本人初の入賞者となり、コンクールがきっかけでコンサートに呼ばれる様になり、劇場での初役を得、専属契約に繋がり…という目の前がドンドン変化する怒涛の2年が始まりました。

 

劇場で初役の稽古が始まった頃、チェコ政府の奨学金はプラハで学んでいる分には充分だったのですが、チェコ北部のリベレツまでバスで通いながら…となると、見る見る金欠状態になってしまっていました。本番を踏んで初めて出演料が頂けるわけで…、それまでの期間はなんとかやりくりせねばなりません。自ずと食費を削る様になり…、プラハに戻って週末にレッスンして頂く度に、「道代!ちゃんと食べてる?」と言われ、「食べています!」と言っていましたが、実はパンとお茶だけの日もあったりでした。

 

ある日!「食べています!」と言った直後、眩暈がしてその場にぶっ倒れ、先生が「ホラ!やっぱり!上のキッチンにいらっしゃい!」と…(先生のお宅は山の斜面に立っていました)

キッチンに行くと、「昨日買い物したばかりで良かったわ。道代に全部持たせるからね。しっかり食べなさいよ!」と大きな買い物袋2つに冷蔵庫の中身を全て詰め込んで、持たせて下さいました。

「そこに座って!今日は夕方来客があるから、キノコソースのラザニアを作ってあるのよ。私のコレはいつも大好評なのよ!食べなさい!」
私は恥ずかしくて「いえ、それは頂けません。」と言ってたんですが、先生がオーブンの扉を開けた途端!まぁ…いい匂いがして…私はフラフラと椅子に座り込んでしまいました。
「ほら!美味しいから!食べなさい!」

かくして…その美味しいキノコソースのラザニアを、私はナント!二人分ペロリと平らげたのでした。

 

とんでもなく恥ずかしかったのと、無茶苦茶ありがたかったのと、色んな感情が全て一緒になって、この日の事は、忘れられない思い出になっています。

 


先生は、メタリックな重厚な重い響きの持ち主でワーグナー歌いとして、あの社会主義時代にチェコ国外で大きな活躍をされた方でした。
カラヤンの目に止まり、1967年ザルツブルグ音楽祭で歌った事をきっかけに、ワーグナー(ブリュンヒルダ全3作、イゾルデ、クンドリ、ゼンタ、オルトゥルートなど)に留まらず、トスカ、トゥーランドット、マクベス夫人、レオノーラ(フィデリオ)、で世界を巡り、チェコ物では、コステルニチカ、エミリア・マルティ、リブシェ、シャールカ、エヴァ と言ったドラマティック・ソプラノの役を歌った方でした。




チェコに行ったばかりの私には、とんでもなく異次元の役柄ばかりで、先生と私では楽器が違い過ぎるからか、先生の説明を聞いても理解不能な時がありました。
結構言いたい事はハッキリ口にしてしまう私は、自分でゆっくり検証しないと身体に落とし込めないと思うと、ハッキリ先生に言ってレッスン途中で失礼したことも数回あります。「道代は石頭だ!」とよく言われましたが、「そうおっしゃる先生も石頭ですね。」と言って…笑!

 

結局3年お世話になり、劇場で専属をしながら、喉を壊して劇場を去る先輩同僚を数名見て、新しい視点から自分という楽器をじっくり見る必要を感じ、自分で次の先生を探し、クニプロヴァー先生にお礼を言って、次の先生を見つけたとご報告し離れさせていただきました。

先生にとっては、青天の霹靂だったそうです。

私には「私は貴方に充分な基礎を教えたから、貴方はきっと自分でその先生が合っているかどうか判断できるでしょう。」とおっしゃって、非常に穏やかに送り出して下さり、私はその対応に大変感動していましたが、実は私が去った事をしばらく寂しく思っていらしたそうです。

 

クニプロヴァー先生は、本当にがっしりとした男性顔負けの骨格を持っていらっしゃいました。肩幅も広く、胸も厚く、背も高く…、私は先生の後に数名の先生に教わりましたが、最初の2人の女の先生方は、私よりも小柄な方達でした。(キャリアは無茶苦茶デカかったですが…)その後の男性の先生方も街の人混みに入ると紛れるような普通の背格好でした。

私にとって、この楽器(身体・体格・性別)の違う先生方にそれぞれの角度から指導していただけた事で、視野と理解が大きく広がり、深まったと感じています。

 


ドラマティック・ソプラノのパートは、私の感覚だと計算しないと歌い切れないと思うのですが、先生の楽器は、やはり特別だったのだと思います。天性の重厚な響きでドラマティック・ソプラノとして、世界的なキャリアを積まれました。

先生からは、色々なステージでの思い出話を伺いましたが、どれも桁違いでした。演ずる事、そこにその人物が本当に生きている事が、先生にとって大切な事だったと感じました。歌う事が完全に演技の一部になっていたのだと思います。

 

プラハの国民劇場で歌い始めた頃、まだ先生を覚えている方たちが結構いらっしゃいました。
私を気にかけて下さっていたプロンプターの方からは、先生のステージでの様子をよく伺いました。「舞台上にクニプロヴァー先生が現れた途端、空気が変わり、先生以外の出演者が見えなくなる!終演後も心が持って行かれて、現実に戻れないくらいの気迫があったのよ…。」

 

本当に凄かったんだと思います。
生の舞台を見てみたかったです…。

 


5月5日、私は、大挑戦します。
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の終幕、最後にイゾルデが歌う「Liebestod」と言われるアリアを歌います。

神がかったようなヴィジョンを歌い上げるこのアリアの後、イゾルデは天に召されるのですが、生とか、愛とか、死とか…そういうものを超えた、そういうもの全てを包み込んだ、世界…いや、宇宙を感じます。

大きかった大きかった先生に、宇宙の彼方にいる先生に、感謝と敬意が届きますように!



準備期間中、先生の門下生とグループサイトでいろいろやり取りしたのですが、とにかくエピソードの桁が違う、先生の人間の大きさ、スケールのデカさ、現実直視の世界観、やることなす事、想像を超えていらっしゃるので、全てのエピソードが異次元で 可笑しいのです。
皆んなのエピソードを読みながら、大笑いでした。


コンサートは、5月5日(金)19:00〜 プラハ芸術アカデミー、B.Marutinů ホールで行われます。

プラハ在住の方、ご都合がよろしければ、是非是非いらして下さい。

 

私は絶望の中にいたんだ。。。と気付いた!

またまた、投稿が止まってしまってました。

とりあえず、一番最近のご報告。

昨日、ヨーロッパで頑張っている若い音楽家さん達とお話しさせて頂けたんですよ。

博士課程で大変な思いをしながら頑張っている子や劇場のソリストを目指して努力している子、自分を立て直す為に泣きながら自分を見つめている子、新しい学びの為に果敢に挑戦をしている子…

皆んなの話を聞きながら、終わった事として蓋をして見ない様にしていた、かつて自分が通って来た道を振り返り、あぁ。。。解る〜そうだったなぁ。。。と思いながら。。。
私の体験談も質問に答える事で話したりしながら。。。

チェコで博士課程を修了していることをポロッと言った時に、一斉に「え〜!!」と声が上がり、何故それを表に出さないかと驚かれ。。。

あの頃の話を皆に話しながら、思い出した。。。
本当に…超絶大変だったあの時を乗り越えても、意図的に作られた壁に阻まれ、博士号取得の一番の目的は果たせず…、全く意味のない事だったんだ…と思うに至る全てを。。。


私は
自分に絶望して動けなくなっていたんだと気づきました。



か〜な〜り長い間。。。。。止まってた。

思えば。。。

大変な思いを乗り越えていく時、同じ環境で悩みを相談し合う人がいなかった。。。

「開拓者」だと自分に発破をかけ、頑張っていましたが、
最初の。。。という人って、そうなんだよね。。。今いる現状を解ってもらえない、ただ、沢山の期待と応援が届く。。。

できなかった自分をどん底に沈めて、その場所から離れて、新しく。。。と動き出したけれど、もう力がなくなってた。

ドイツ語…B2取ると決めて、取ったけど…、その先、使いこなす所まで全く行けてなかったのは、「何をやっても無駄」という絶望の中にいたからなんだ…


今週はとにかく私はまだまだ全く捨てたものではないと言う気付きが多かった!!

私はワーグナー歌いでは全くないんですが、アリアのみ歌う機会を頂いて、ちゃんと稽古つけてもらいたいと、気になっていたバイエルン国立歌劇場のコレペティさんのコンタクトを探し出し、相手にされないのを覚悟で連絡したら!なんと!お返事を頂き、2回みて頂きました。
初回は、ワーグナー愛に圧倒され、縮こまってしまった自分を発見しショックを受けたにとどまりましたが、2日後の2回目は、2回通したら「もう何も言うこと無いよ!」と20分でコレペティ終了!次は何を歌うのと言われ…まだオペラ歌っても良いのかなぁ…とも思えたり…

皆さん、本当に励ましをありがとう❣️


そろそろ、本気出します!

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久しぶりのプラハ

帰ってきて、3日経ちました!

空港からのS-Bahnを乗り間違えて、ちっとばかし時間をかけて家に到着でしたが、大家さんのワンコが夜の暗闇の中、走って飛びついて来てくれて、疲れが吹っ飛びました!可愛い!!

大家さんも色々心配して下さってて、本当にありがたい事です。

帰った翌朝は、明け方降った雪が薄らと残っていて…、それでも春を感じるミュンヘン。

帰ったら帰国中のお話をアップしますと言っておりました

 

が!!

 

帰ったと思ったら、次の準備で、ご報告のブログが書き出せておりません。

次の準備というのは、こちら、
https://www.ceskafilharmonie.cz/event/27596-graffovo-kvarteto-cesky-spolek-pro-komorni-hudbu/

久しぶりのチェコでのコンサート、弦楽四重奏との共演です。

実はコレ、飛び込みのコンサート!

 

チェコにいらっしゃる方、よろしければ、どうぞ足をお運びくださいませ!!

 


明日は再び荷造りして、出発準備です。

稽古の合間や、移動中にでも、今回の日本のお話が書けたら!!!と思っています。

盛り沢山すぎて。。。凄かった。。。の。。。です。

とにかく、いろんな意味で充実の一時帰国でした。