Michiyo’s 『道』 BLOG!

こんにちは。慶児道代です。私のブログへようこそ!

逆カルチャーショック!!〔Part 1〕

2日間更新途絶えてました!
段々と頭の中が、コンサートに集中してまして、回想記は書きづらくなってます。

さて、初帰国の続きです。

関西国際空港に着いて、ド緊張のまま、パスポートコントロールに向かいました。
私がカバンから無効になった5年用パスポートを取り出した時に、隣の列から、

「あぁ!ごめんなさいね。あれは、冗談だったんですよ。大丈夫ですから!安心して!」

お隣の方でした。
勿論、パスポートコントロールは無事に通り抜けました。(笑)

島で周りが海だからなのか、辺り一面から、お味噌汁の香りがしていました。
「これが日本の香りなのかなぁ...」
チェコには海が無いので、久々の香りでした。

キョロキョロ看板を見ながら、新大阪に向かうべくJRの切符売り場に向かいました。
事情がまるで解っていないので、発券機よりもみどりの窓口が良いと並んでいましたら、係の方から、「日本人ですか?こちらは事情が解っていない外人さんで一杯ですので、発券機でお求めいただけますか?」
実は、自分も事情が解って無い事を話すと、新大阪なら『はるか』で...と言う事で、ドキドキしながら、発券機の前に行くと、

「いらっしゃいませ」

まさか、機械が喋ると思っていなかった私は、腰が抜けるほど驚いて、
「ひゃ~」とも「うわ~」とも言えない、素っ頓狂な大声をあげました。
どうも広範囲に響いた様で、周りから かなり白い目で見られてしまいました。(恥)
この頃のチェコには、飲み物の自動販売機も(1998年には入っていたそうですが…)みる事は無く、とにかく、機械が喋ると言う事は全く考えにありませんでした。

その後も、自動改札は喋るし...、エレベーターも、自動販売機も喋る...。
その声に思わず頭を下げ、返事をしてしまいそうになりながら、新大阪、岡山駅経由で、倉敷に向かいました。

道中、車窓からの景色を本当に不思議な感覚で見ていました。
懐かしいと言う感覚は湧いて来ず、ただ、知ってる筈なんだけど、知らない物を見てる様な...なんとも例えようのない感覚で、忘れていた日本の景色に釘付けになっていました。
田んぼの風景もですが、田んぼの中に立つ看板広告、民家の密集のしかた、線路ギリギリの高層ビル、昔ながらの古い長屋…。
街の中は、全てがゴチャゴチャと小さく固まっている様に見えました。

岡山駅には、私が出て一年後に結婚した妹家族が迎えに来てくれていて、初めて会う姪っ子も一緒でした。
「こんにちは!」と声をかけると、ビックリしてお父さんの影に隠れてしまいました。

チェコに発った当時 肩につくか つかないかだった私の髪は、7年の間にお尻辺りまで伸びていました。
1997年頃まで、外人額、チェコ人額があった話を書きましたが、『アジア人、黒人40%アップ』の看板に怒りまくった私は、「チェコに居る間は髪を切らない!」と決めていたのです...その時は まさか こんなに長く居るとは思ってもおらず...。

姪っ子は、その長い髪にビックリしてしまったのです。

倉敷駅に着くと、駅裏に洋風の大きな建物がニョキニョキ見えて、一瞬降りる駅を間違えたのかと思うほど。
1997年に開園した、倉敷チボリ公園でした。

f:id:MichiyoKEIKO:20180107045535p:plain
f:id:MichiyoKEIKO:20180107051725p:plain

*写真はWikipedia から。駅ビルは改装工事前のものです。現在は上のホテルが取り壊され低くなってます。

家に着くと、辺り一面田んぼだったはずが、土地開発が進んで、大きな道路が走り、水田は埋め立てられて、アパートが立ってました。
家に着くと、母と祖母が待っていて...私を見ると安堵した表情を見せました。
心配してたんだなぁ...。

家の洗面台もキッチンも天井も...驚くほど低く、広いと思っていた部屋も「え?こんなだったっけ?」
ここで暮らしていた感覚をすっかり忘れてしまった自分が居ました。

かつて、大きいと思っていた通りは、狭くて狭くて...、よくこんな所を運転していたな、と思いました。

驚いたのは、丸2日間、日本語は喋っているんですが、方言が全く出て来なくて…。
家族に「なんかもう、気持ち悪りぃなぁ~。誰と喋りょーるんか 解らんがぁ。岡山弁忘れたん?」と言われてしまいました。(笑)

3夜の徹夜と大移動の後、ここは我が家だと感じられた安堵感...から、やっと爆睡できました。

この続き、そして、自分探しの旅?についても書きかけているのですが、回想記は暫しお休みして、今回のプログラムのお話に移ろうかな…と思います。