Michiyo’s 『道』 BLOG!

こんにちは。慶児道代です。私のブログへようこそ!

《第一部》ドヴォルザーク『聖書の歌』

第一部、2つ目の歌曲集は、ドヴォルザーク作曲の『聖書の歌』(全10曲)です。

この作品は、ドヴォルザークのアメリカ滞在中の1894年3月に僅か3週間で書き上げられた作品です。
この作品を書くにあたって、注文が入っていたとか、誰かに献呈する為だとか...そういう理由は一切なく、純粋にドヴォルザークの創作意欲だけで書き上げられた作品です。
ドヴォルザークは、敬虔なクリスチャンで、彼の宗教作品には本当に素晴らしい物が沢山あります。テ・デウム、スタバト・マーテル、レクイエム...など、大きな編成の作品であっても、彼の実直さと信仰心が伺えますが、このピアノ伴奏の「聖書の歌」に見える神との親密な繋がりは、本当に特別なものを感じます。
この歌曲集のテキストは、ドヴォルザークが常日頃手にしていた詩篇集から選んでいます。この作品に感じる 特別な親密さは、彼の日々の祈りが、そのまま音楽になっているからだろうと思います。

チェコ語には敬称と親称の区別が無い事もあって、そのテキストは、まるで大切な親友と話しているような響きがあります。
作品は、非常にシンプルで、言葉と音楽の繋がりが非常に密接で、痛みや不安、絶望から、静かな瞑想、人間の喜びと幸福まで、それぞれの曲が順を追って非常に表情豊かに展開されます。ドヴォルザーク自身の思いがそのままそこにある様です。


ドヴォルザークはナショナル音楽院の院長としてニューヨークに招かれ(1892-1895)...、その間に現地で交響曲第9番新世界より」を作曲し、初演で大成功をおさめます。一見、順風満帆の様に見えますが、多くの成功の裏、沢山の偉人の功績の影にあった、苦悩が 例外なくドヴォルザークの中にもあったと思います。

新世界より」の成功で人々は彼を褒め称えます。その中には、真実とは違う事、例えば、「新世界より」にネイティブアメリカン民族音楽のモチーフを使ったとか...、褒めて貰いながらも、素直に受け取れない言葉も沢山あったでしょう。
また、故郷から遠く離れた異国の地で、自分の居場所が見つけられず、孤独に苛まれる時もあったでしょう。

「聖書の歌」の2番、3番にみる、自分の在り方、自分を保つ事への不安は、そのままその時のドヴォルザークの精神状態ではなかったかと 私は思います。価値観の違う異国で音楽院の院長と言う教育に携わる仕事をし、真面目なドヴォルザークの事、色々悩む事は多かったでしょう。
新世界より」の成功により、様々な噂が独り歩きを始めたかも知れません。自分が意図したことが そのまま伝わらず、何か自分の思いとは違う方向へと引っぱられて行く不安もあったのではないでしょうか。

特に7番のバビロンの川の畔では、アメリカと言う異国で 正にドヴォルザークが実感していた状況だったのではないかと感じます。
最後のテキスト、「神を忘れるくらいなら、私の右手が その芸術を忘れましょう」ここは業と訳せばいいのでしょうけれど、私は敢えて直訳の「芸術」と訳したい、この部分に 私は ドヴォルザークのある種の覚悟を感じるのです。
神の存在があって、自分があると言う事、神への信頼と共に、何があっても、どこに居ても「神と共に自分は曲を書くのだ。音楽を介して自分の使命に従事するのだ!」という覚悟に聴こえるのです。

これに続く8番は、この歌曲集の中で最も感情露わに書かれていて、作品の頂点と言っても良いのではないかと思います。私はこの曲に、精神的に疲れ切って、ボロボロになりながら、必死で踏ん張って生きているドヴォルザークを感じるのです。

これらの苦しみ、痛み、の曲の後には必ず救いの曲があります。
4番の 主は私の羊飼い …角笛の音、羊の首になる鈴の音...その平和な事!!
9番の 神の助け...いつどんな時も護られていると言う 密かな しかし 確実な安心感。

そして、5番、10番の神への賛美の歌。

1番と6番について書いてませんね。
1番は天地創造、神の威厳。6番は 神への信頼。この2曲は、ドヴォルザークを支え続けた絶対的な神をそのままそこに在らしめています。

チェコで、チェコの作品を歌う時、様々なリアクションを受けます。この歌曲集を歌った際にも、新しい感覚の演奏だと言われたり、「聖書の歌だから、感情を入れ過ぎない方が良い。」と言う意見を頂いた事がありますが、私は溢れるままに歌いたいのです。
この作品はドヴォルザークの叫びだと感じるからです。
極々普通の人達が下さる感想に、共演者との説明の要らない 思いの通じるコラボに、自分の感覚を信じて歌おうと励まされた作品です。

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画像: Wikipediaより