Michiyo’s 『道』 BLOG!

こんにちは。慶児道代です。私のブログへようこそ!

ドヴォルザーク 『聖書の歌』

6月30日(火)18:00~ (EU / 11:00~)
https://youtu.be/HcnWCO9b_-4 (無料配信)

このライブ配信で歌わせて頂く楽曲について少し書かせて頂きます。

訳詞はこちらをクリックして下さい⇨ ドヴォルザーク『聖書の歌』訳

第2部の最後に歌います、歌曲集『聖書の歌』について…。

ドヴォルザークは、チェコの作曲家の中でも一番世界でその作品を演奏される機会が多い作曲家です。彼の交響曲第9番新世界より」は皆さんご存じの曲でしょう。
敬虔なクリスチャンだったドヴォルザークが、この歌曲集を作曲したのはニューヨークに滞在中の1894年の3月、僅か3週間の間に全10曲全てを書き上げています。
彼の声楽曲の最高傑作と言われるこの歌曲集は、声楽曲以外の彼の全ての作品の中でも最も重要な作品の一つです。

ドヴォルザークは、自身所有の詩篇からテキストを選んでいます。彼の日々の祈りがそのまま率直に表れ、ドヴォルザーク自身が作品の中で神に語り掛けている様で、彼の宗教作品を通して、ここまで神との親密さを表したものはないと思います。

この歌曲集の作曲に際して、注文が入る、誰かに献呈するなど、外部からのインスピレーションは一切ありません。作曲家の想いのままに書き上げられた、非常に厚く敬虔な信仰心に満ちたその内容は、言葉と音楽の繋がりが非常に密接で、ドヴォルザーク自身の思いがそのまま開け放たれたと言えるでしょう。

何か新しい技法を駆使したような形跡もなく、それどころか、全ての効果的な表現を最大限に避けた様に感じます。それなのに、この作品の中には、それまで見せて来なかった新しいドヴォルザークの感性が光っています。
歌曲集全体を通して様式の統一が保たれてつつも、痛みや不安、絶望から、静かな瞑想、人間の喜びと幸福まで、それぞれの曲が順を追って非常に表情豊かに展開されます。
ピアノ伴奏も非常にシンプルで、基本となる和声の流れとリズムのみに留められ、要所要所でテキストの背景にある感情の高揚を歌と共に描いているだけです。


1曲目、天地創造。神の威厳。
2曲目、邪念に惑わされそうになる自分 不安
3曲目、死と直面しそうになる自分、恐怖
4曲目、主の偉大さ、主の下に在る幸せ、安心
5曲目、神の偉業を讃える 神への賛美
6曲目、神への信頼
と続く中、私は、ドヴォルザークの溢れ、移り変わる感情を感じないではいられません。
先程も書きましたが、この作品が書かれた時、ドヴォルザークはニューヨークに滞在中でした。
この滞在中に行われた、交響曲第9番新世界より」の初演の成功は、ドヴォルザークの生涯で最も大きな成功でした。
しかし、作品の内容を見る限り、ドヴォルザークは精神的に非常に追い込まれた辛い時期であったことが伺えるのです。それを証明するものは、何も残っていませんが、第2,3曲目の不安、恐怖のリアルさは、他の作品には見られないほど、率直に作曲家の感情が伝えてくれます。
そして、7曲目にある異国...は正にドヴォルザークの置かれていた状況だと感じます。最後のテキスト、「神を忘れるくらいなら、私の右手が その芸術を忘れましょう」ここは業と訳せばいいのでしょうけれど、敢えて直訳の「芸術」と訳しました。何故なら私は、この部分にドヴォルザークのある種の覚悟を感じるからです。神がいて下さる事で自分が仕事し続けられる事、貴方が在るから平静を保ち続け、作品を書き続けて来れた。「神と共に自分は曲を書くのだ。書き続けるのだ!」という覚悟に聴こえるのです。

偉人達の大きな成功の裏には、必ず、何か相反する事があるのが常です。人々が、彼の成功を讃えれば、讃えるほど...、その反対の言葉も耳にした事でしょう。
故郷を遠く離れた異国で、自分の真実を求め、自問自答問するうちに、孤独感が大きくなって行ったのではないでしょうか。
それに続く、第8曲目は、この歌曲集の中で、最も感情が露わになっています。
孤独の中で精神的にボロボロになり、自分に嫌悪感さえ抱きながら、ギリギリの所で踏ん張っているドヴォルザークを感じるのです。
そして、9曲目、どんな時も自分を護る神の存在が現れ、10曲目、世界をあげての神への賛美を歌って作品を閉じています。

聖書の歌だから、感情を入れ過ぎない方が良いと言う意見もして下さる方が居ましたが、私は溢れる物を留めることができません。この作品はドヴォルザークの叫びだと感じるからです。  (慶児)