さてさて、少しプログラムについてお話させてください。
リサイタルの第1部は、歌曲です。
最初に歌いますのは、スメタナの晩年に書かれた唯一のチェコ語の詩による歌曲集です。
テキストは、ヴィーチェスラフ・ハーレクの詩集『夕べの歌』より5つ スメタナが選んでいます。
スメタナのピアノ曲は、テクニック的に難しいものが多いのですが、この歌曲集のピアノ伴奏はとてもシンプルで、彼がチェコの民族音楽をイメージして書いたことが感じられます。
音楽賛歌、民族芸術賛歌といっても良いこの歌曲集、特に第一曲目は、チェコで歌の好きな人は、皆知っている曲です。
「黄金の弦を鳴らす事ができる者を」
前にもブログで書きましたが、私の中で、この黄金の弦を鳴らす事は、人の心の琴線にふれる事…に繋がっていると思っています。
プロもアマも関係なく、そういう演奏ができる者が居る限り、その民族は滅びる事は無い…ハーレクとスメタナの思いが合致したのでしょう。
これは、音楽だけではない、芸術表現全てを含んでいる様に感じます。
スメタナは、幼い頃から音楽(特にピアノ、作曲)の才能を発揮し、自分の才能を信じてその一生を音楽と共に生きました。今でこそチェコ国民音楽の父と言われていますが、そこに至る道は 決して平坦ではありませんでした。
ピアニストとしてのスメタナは、リストに敬意を抱いていました。それ以外の作曲家の作品についても、良いものは良いと受け入れ、それを深く知ろうと努力するスメタナに周囲の目は新ドイツ楽派に傾倒しているとして、批判が厳しかったそうです。
ドイツ語教育で育ったスメタナはチェコ語が苦手でしたが、彼はこれを40代になってから、克服しています。しかし、周囲が彼を認めるまでには、時間と業績が必要でした。
第2曲目「預言者に石を投げるな」は、正にその彼の思いに沿った詩です。
「預言者」という言葉を使っていますが、これは、先駆者として進むべき先を見据え、直感で感じ取るままに進もうとしている者、損得勘定の無い芸術への純粋な思いを持った者を示していると思います。
石を投げて追い出さないで、その純粋な表現をそのまま受け取って欲しい...。
第3曲目「私にはそう思えたのに」は、30代に我が子、愛する人を次々に失ったスメタナが、悲しみに対しての感情に蓋をして突き進んだ事への気づき、そして、第4曲目「踊りの輪の何と楽しいこと」は、この曲を書いた時 既に聴力を失い 病床にあったスメタナが、自分を哀れんでいる様に感じます。
スメタナは、両耳が聴こえなくなっても 尚 チェコを題材にした作品を書き続け、焼失した国民劇場の再建に尽力し...、その姿に、ようやく 人々は彼の存在を認めるようになります。
彼が、病床にあっても創作意欲を失わなかったのは、この曲集 第5曲目「私は歌で君に王座を創ろう」にみられる源泉から水が豊かに湧き続ける様なピアノ伴奏と同じく、彼の中に絶えることなく溢れ出る愛国心と使命感があったからだと思います。
スメタナは、ハーレクの詩に いたく感銘を受けたそうです。
ハーレクは、オーストラリア帝国の支配下のチェコで生まれています。『夕べの歌』の詩はのちに彼の妻となるドロタに向けて書かれたもので、まだ学生であった22歳の時の作品です。どの詩も、愛や希望を感じさせ、チェコ人に長く愛されている詩集です。
ハーレクは39歳で亡くなりますが、他国の支配下にありながらも、最愛の人と結婚し、生涯幸せだったそうです。
私は、彼はどんな環境に居ても、幸せで在れる才能を持っていたんじゃないかな...、だから、周りにポジティブに影響していけたんじゃないかなと思います。
短命であった事が惜しまれます。
既に病床にあったスメタナは、その彼の詩から英気を得たのでしょう。
チェコの行く末に思いを馳せ...、自身の人生を振り返り...、自分の使命を改めて感じ...、この歌曲集が生まれたのだと思います。
画像:Wikipediaより